人は誰でも独りぼっち、孤独な存在です。
こう言うと、ネガティブな言葉に聞こえるかもしれませんが、
考えてみてください。
たとえ親しい友人でも、家族や恋人同士でも
喜びや悲しみの感情は、突き詰めれば自分の中だけのもの。
自分と全く同じ気持ちを、他人に味わってもらうことはできず
自分が、他人の心の中に入っていくこともできないでしょう。
結局のところ
人は生まれてから死ぬまで、自分だけに見える風景を見て、生きていくのでしょうか。
しかし一方で、人間にはこういう性質もあります。
人が笑うのを見ていると、いつの間にか自分も笑顔になっている。
怒っている人の近くにいると、なぜか自分も気が立ってくる。
映画を夢中で観ていると、主人公がピンチの場面では、自分がその主人公になり切ってドキドキして手に汗を握り、口をあんぐり開けている。
人は、他者の行動や状況をまるで自分のことのように感じて、怒り、笑い、感動します。
人には、無意識に他者に「共感」する性質があるのです。
それは、考えるよりも先に出る細胞レベルの反応とも言えます。
実はこの反応は、赤ん坊のころから発達し始める「ミラーニューロン」という脳神経の働きだと言われています。
物まね細胞「ミラーニューロン」
イタリア生まれで、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の教授である、神経学者のマルコ・イアコボーニ氏。
彼が、2008年に「ミラーニューロンの発見」という本を書きました。
ミラーニューロンとは、霊長類などの高等動物の脳内で
他者の行動を「見る」だけで自分が行動した時と同じように活性化する、神経細胞のことです。
脳の「F5野」という位置にある、数百万個のニューロン(神経細胞)です。
例えば、他人がコップを持つ動作を見ると、自分がコップを持つときの運動神経が活性化する。
ピーナッツの殻を割る音を聞くと、殻を割るための動作をする運動神経が反応する。
ミラーニューロンには、他者の動作や表情を無意識に「模倣」する能力があり、
他者がしていることを見て自分のことのように感じる「共感(エンパシー)能力」を持っている、と考えられています。
まるで「鏡」のような反応をすることから、「ミラーニューロン」と名付けられています。
普段、私たちが映画を観て感動するのも、小説を読んで感情移入するのも、ミラーニューロンの働きだと言われています。
早く教会に着いて!
遥か昔、僕が小学校6年生の頃(笑)こんなことがありました。
6年生の僕は、映画館で「オーメン(The Omen)」という恐怖映画を見ていました。
名優グレゴリー・ペックが主演した、リチャード・ドナー監督の映画です。
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物語のクライマックスで、主人公のアメリカ人駐英大使(グレゴリー・ペック)が、夜中に息子を車に乗せて教会に行くシーンがあります。
教会の祭壇で、息子のダミアンを「始末」するためです。
(なぜ息子を始末するのか知らない方は、映画をご覧ください)
悪魔の力を封じ込めるために、息子を始末するのです。
一刻を争う事態です。
泣き叫ぶダミアンを乗せて、ものすごい勢いで夜道を走る車。
その車を見て、パトカーが停車するように言います。
しかし、大使は振り切って教会に車を飛ばします。
大使の車を追うパトカー。
教会に急ぐ大使の車。
緊迫したシーンです。
そのとき、映画を見ていた観客の一人の女性が声を上げました
「早く!」
とたんに、観客の間にドッと小さな笑いが起こりました。
思わず出てしまった、女性の小さな叫び声。
早く教会に着いて!という意味ですが、その叫びは、おそらく他の観客の気持ちを代弁したものでした。
みんなは女性の気持ちに同調して、緊迫した場面でありながらつい笑いが出てしまったのです。
(僕はそう感じました)
他人の心にアクセスする
人との間の感動や共感に深く関わっているミラーニューロン。
それも、ひとつひとつを深く考えて行うものではなく、もっと楽な方法で他人の感情を「瞬時に」理解する。
細胞で感じ取る。
いわば「他人の心にアクセスする」と言える。
イアコボーニ氏はそう説きます。
人の能力を伸ばす
まだ言葉が話せない段階の子どもが、「模倣ごっこ」をすればするほど、後になってよく話すようになるそうです。
そして大人になっても
例えば、体育の授業で高い技術を持った先生の動きを見ていると、それを見ている生徒の脳では「先生の動きと同じように」運動脳が活性化するそうです。
極端なことを言えば、自分は動かずに先生を見ているだけでも、生徒の技術は向上しやすくなるというのです。
お手本が上手であればあるほど生徒の上達が早いようで、これらもミラーニューロンの働きのおかげだそうです。
どんな人の中にいるかで、自分は変わる
「周囲にいる5人の平均年収がその人の年収である」という例えは、よく使われます。
多くの場合、年収自体がどうというよりは、
どんな集団にいるのか
どんな仲間と付き合うのかは
その人の自己評価基準にもなり、発展の可能性をも左右するということなのでしょう。
周囲の人が誰なのかによって、自分の感情も行動も、性格すらも変化するかもしれません。
人は、同じグループのメンバーに対しては、他の人々には感じないほどの「自分との類似性」を感じるようです。
そして、互いに好意を持っているほど、互いに模倣し合う傾向が強いようです。
今は、コロナ感染防止のため実際に大勢が集まることはあまりないかもしれませんが
たとえZoomやSNSなどのオンライン上のやり取りであっても、人の発言や態度は、リアルで会う時と基本的には同じではないかと思います。
「接触する相手が誰なのか」は、たとえオンラインであっても重要な問題かもしれませんね。
暴力の模倣
「自動的に模倣を行う」という人の性質には、恐ろしい面もあるようです。
その例として、イアコボーニ氏は次の事件を挙げます。
※以下、少々残虐な描写が含まれますので、読みたくない方は画面を閉じてください。
2002年に、アメリカのニューハンプシャー州である事件が起きました。
2人の10代の少年が、大学教授夫妻を殺害したのです。
少年たちは、強盗を働こうとして、自宅にいた夫妻をナイフで何度も突き刺しました。
事件後、裁判が始まり、審理が進むにつれて、2人が普段リアリティのあるインタラクティブなビデオゲームを楽しんでいたことがわかりました。
そのゲームでは、犠牲者を刃物で突き刺して血を流しながら死んでいくのを見ている場面があったそうです。
日頃、ゲームの中の残虐な場面に浸っていたことが、事件に関連したのかもしれません。
その事件に先立つ1999年、アメリカのコロラド州で2人の男子生徒が学校で銃を乱射し、12人の生徒と1人の教師を射殺するという凄惨な事件が起きました。
コロンバイン高校銃乱射事件です。
乱射した2人も自殺しました。
そして、その乱射事件後、50日の間に350件以上にのぼる学校襲撃の脅迫があったそうです。
乱射事件が起こる前は1年に1回か2回だったそうなので、急激な増加といえます。
コロンバイン高校の事件が、これらの脅迫事件の引き金になったという可能性は、否定できないようです。
この他にも、物語や事件を模倣したと思われる犯罪は、世界中に数えきれないほどあるでしょう。
これらの事例が、人が持っている「模倣」の性質のせいなのかどうか、その証明はできません。
しかし、「ミラーニューロンがいかなる方向へも作用する例」なのかもしれない、とイアコボーニ氏は唱えます。
人は、理性よりも、生物学的なメカニズムで行動するようです。
知性による判断よりも、もっと原初的な部分や力で行動するということです。
そして、人にはやはり、自分が見たものにそのまま影響されてしまうという性質があるのです。
これは誰もが、どこかで忘れてはならないことでしょう。
他人の中に自分自身を見る
人は、ミラーニューロンによって身体、行動、話し方に至るまで、お互いを「同調」しようとする傾向があります。
模倣や共感によって、親密さや帰属性を求めるのです。
ミラーニューロンは、「自分と他人との間の溝を埋めようとする脳細胞であるに違いない」とイアコボーニ氏は説きます。
人間は、生まれつき共感を覚えるようにできているのです。
photoAC
赤ん坊は、自分の真似をする大人に一番関心を寄せます。
自分の動作と相手の動作が似ていること、動作が共有されていることを、感じ取るのです。
人は他人を見て、その中に自分を見る。
つまり、他人の中においてこそ、自分の位置を知ることができるのかもしれません。
生き抜いていくために、きっとそうした性質があるのでしょう。
私たちは、自動的に働くミラーニューロンの活動を、時には理性や意志で「方向付け」をしながら、進むべき道を見つけていきたいですね。
ではまた!
(当記事は、マルコ・イアコボーニ著の「ミラーニューロンの発見」 から抜粋・引用・加工しています)
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